割烹 すずき               日本料理/目黒/学芸大学/和食/コース料理 /料理教室

Language : English

割烹すずきのTwitter

旬の食材や季節のお料理、お得な情報などを発信しております。ぜひご覧ください!

 

お問い合わせ

 

ブログ

 

HOME»  割烹すずきのブログ»  旅行記»  アマゾンのボラ族に和食を食べさせる

アマゾンのボラ族に和食を食べさせる

アマゾンのボラ族に和食を食べさせる

321日放送の「おたけすけジャパン」に出演しました。

ご覧いただけたでしょうか?

「見過ごしてしまった。」という声も頂きましたが、見て下さった方も大勢いらっしゃったようで「格好良かった!」なんて声も頂きました。ありがとうございます。見逃してしまった方、お知らせがギリギリになってしまい、ごめんなさい。

見逃してしまった人も楽しめるように少しだけ撮影の旅行記を掲載したいと思います。

 

撮影は全部で8日間行われました。撮影場所はブラジルのアマゾン川。日本のほぼ正反対に位置するブラジルまで、本当に遠かったです。羽田→アメリカのロサンジェルス→ダラス→ペルーのリマと飛行機を乗り継ぎ、乗り継ぎ、行きました。

そこからさらにイキトスという小さな町まで移動。イキトスはアマゾン川の上流の川に面した町で、川と熱帯雨林に四方を囲まれているため「陸路では行けない世界最大の町」と言われています。イキトスに入る手段は船か飛行機ということですね。私は小さな小型飛行機で、イキトスへ入りました。でも、ここが最終目的地ではありません。イキトスから車で20分走ったところに船つき場があり、そこからさらに船でボラ族の住む村まで行きます。

今回の旅は「アマゾンの秘境に住むボラ族の子供に和食を食べさせたい」という村長リボリオさんの依頼から始まりました。私の仕事は、現地の食材を使って和食を作ることでした。

 

何時間もかけ、やっとの思いで村にたどり着き、村長さんにご挨拶が出来ました。挨拶後村長が急に「アオーホー」と叫びだすので、何かの挨拶かと思い、私も「アオーホー」と真似して叫んでみました。するど、どんどん人が集まってくるのです。私は村長に答えるつもりで叫びましたが、どうやら村長は「みんな集まれ~」と言っていたようです。

村の人に歓迎してもらい、料理もご馳走してもらいました。現地の人は、煮るか茹でるかの調理法しかしておらず、調味料も塩のみというとてもシンプルなもの。魚の味も淡泊なものが多く、それを補うように、バナナの葉で、魚をハーブと一緒に包んで焼いたりして香りづけをしていました。現地の食材と和食の技を使っていかに料理を美味しくするか。それが、私の腕の見せ所ですが…。シンプルな料理に馴染んだこの人々に、和食の味が受け入れられるか、食材や、調理場所など想像もつかないので、本当に不安だらけでした…。

 

そして、ひとまずイキトスの市場に食材を探しに戻りました。イキトスには数日宿泊もしました。基本的に外を一人で出歩くのはとても危険なようで、一人でフラフラ歩きまわらないように言われていたのですが、早朝目が覚めた私は、一人ふらりと市場の方へ散歩しに行き現地の景色を堪能しました。朝食の時に撮影スタッフに「散歩してきた。」と話したら「鈴木さん、危ないと言ったじゃないか!」とすごく怒られちゃいました。

市場での食材探しは、放送でもしっかりと映っていましたね。増田君が芋虫を食べていましたが。実はあれ、私も食べたのです。撮影を手伝ってくれた現地のガイドの人に、「ほれ、お前も食べろ。」とでも言うかのように、手づかみで渡されたのです。言葉は通じないので、言葉はなく、ただ強い視線で「これを食べないと仲間に入れないぞ。」そう言われているような気がしました。まさか、芋虫を食べることになろうとは…。「えいっ。もう食べるしかない。」という気持ちで口にしました。よくテレビでこのような芋虫を食べるシーンを見かけ「美味しい!」と言っているところも見ますが、実際に食べてみるには、やはりかなりの覚悟と勇気がいります。パクっと口にすると、「んんん!?クリーミーで美味しい!?」でも、それを表現しようとすると今まで口にしたこともない食べ物に、説明する言葉が見当たらず…思考停止。でも、これで現地の人の仲間に入れてもらえたような気になりました。皆さんも「百聞は一見に如かず」機会があれば是非食べてみて下さい(笑)

 

他にも市場ではあぶらの実というのを発見しました。パンに塗って食べるとか…。日本にはない食材のオンパレードで、毎日築地に行っている私でも、何を買おうか迷う難しい買い物でした。ボラ族の食べていた魚は捕ってその場で調理していたため、とても新鮮でしたが、イキトスの市場の魚は、漁をしてから時間がたち鮮度が良くなかったので、私が調理する魚は増田君に捕って来てもらうことにしました。漁の様子はテレビで詳しく放映されましたね。まさに命がけの漁ですごい迫力でした。

 

私の見せ場、調理シーンも沢山映してもらいました。電気うなぎの調理も、なかなか苦戦しました。ナタのようなもので殴って殺し、手袋をしてさばきましたが、ぬるぬるしているし、脂だらけ…。しかも、さばいている最中に2回ほどびりびり、びりびりっときて飛び上がりました。

ウナギ料理はお得意で、今まで何十匹とさばいてきたと思うのですが、こんな鰻は初めてでいつもの調理とは全く勝手が違いました。まさに苦戦体のほとんどが脂で出来ている電気ウナギは食べられる身はほとんど取れませんでした。しかも身の骨はとても固いので、骨切りをすることに。そして、骨切りしたので身が崩れやすく、直火で焼いて、蒸して、その後は、串は打てないので、ホイルにのせてたれをつけて焼きました。いつもの基本的な手順は変わりませんが、慣れない調理場で「これで大丈夫かな?」と色々考えながら調理して行く感じが、サバイバル。そして完成した、うなぎの蒲焼は、山椒の代わりにオレガノを振って頂きました。甘辛いたれが好評でした。

 そして調理後の残った食材ですが、現地の婦人たちに「この脂を食べますか?」と聞くと、食べないとのこと…。そして、中骨などは置いておくと、婦人たちが黙って持って行きました。いったい何に使ったのだろう…。食べたのかな?

 

 お寿司は、握りを目の前で作ろうという私の提案が通り、握りたてを食べてもらうことに。ボラ族の人は今まで食べたこともない料理です。「美味しく食べてもらうには、目の前で作るのが一番!」と思ったのです。こんなアマゾンの密林の中で、日本の代表料理「SUSHI」を自分で握れるなんて、寿司職人で良かったと思う瞬間ですね。

ファサコ・ガミタナなどのデンジェラスフィッシュを丁寧にさばいて、洗いにしたネタを準備。寿司酢の入ったご飯は甘酸っぱく、ボラ族の人々はそのご飯の香りに最初抵抗があったようでしたが、食べると「SUSHI」コールが起こり、盛り上がりました。

パイチェという殺人魚も増田君が取りに行ってくれました。跳ねて増田君に襲い掛かっていましたね。パイチェの頭突きが増田君の顔に当たりそうでヒヤリとする瞬間もありました。パイチェはその身体も大きいですが、鱗が厚く、鱗とりが全く役に立たないので、苦戦しました。包丁で表面の鱗を削ぎ切りにしました。今回の旅の為に牛刀を新調して持参したのですが、歯がボロボロに。さばいている途中に3回も研ぎなおす羽目になりました。パイチェの身は、3枚におろして西京焼きに。もともとタラに似た魚なので、西京焼きにしたら味は間違いないですね!

実は頭、骨、カマをスープにしようと、焼いてから冷ます為に外に置いておいたのです。ですが、なんと翌朝きれいさっぱり消えてしまっていたのです。なんとご婦人方夜のうちにもって帰って食べちゃったみたいです。「ガーン。スープにしようと思っていたのに…。食材が消えた。」

仕方がないのでパイチェの出汁で作る予定だった茶わん蒸しとお吸物は、ピラニアの出汁で作成しました。ピラニアでもいい出汁が出て良かった。私はその出汁を飲んで「うま~い!!!!」と叫んでいました。現地の料理の味付けは、ほぼ塩のみで、チキンを焼いたもの、魚を焼いたものばかりで…。それも美味しいのですが、日本の出汁の味に飢えていたのですね。カツオ節のコク、魚の骨から出たうまみ、それが溶け出した透明なスープの味は、最高でした。

茶わん蒸しが子供にも婦人にも大好評でした。卵はアマゾンでも普通に手に入るようですが、このような食感の食べ物を食べたことがないと、いたく感動していました。調理法も珍しかったようで、私が調理している周りで、不思議そうにじっと見つめていました。私が作ったのをきっかけに、今頃ご婦人方は茶わん蒸しを作ってみたりしているのでしょうか?

 私が作った料理は、うな重、寿司、西京焼き、お吸物、茶わん蒸しの5品でしたが、一品一品本当に美味しそうに食べてくれました。現地の子供達の目がキラキラして、いつもニコニコ興味を示してくれたことが、今でも心に残っています。最後のお別れでは、アマゾンでの仕事を成し遂げた充実感と一緒に、子供達と別れる寂しさが入り混じりました。

 

仕事が終わり帰国の道はもう、私は疲れでボロボロでした。数日間の過酷な撮影で、いつもよりやせた私は、ズボンがゆるゆるで、ベルトで押さえてはいていました。それなのに、空港の手荷物検査でいちいちブザーが鳴るのです。身に着けているものをすべて外せと言われ、ベルトやカバンなどを外しました。通り抜けて、色々なものを手に持ち行こうとすると、後ろから「カバン、カバン」と呼び止められました。なんと大事なカバンを忘れていたのです。バタバタと歩いて乗り換えを済ませると、なんとズボンが上げても、上げてもずり落ちます。そうです、手荷物検査のどさくさで、ベルトを置いてきてしまっていたのです。そこからはずっと脱げそうなズボンを手で押さえながら帰宅する羽目に。

 

そして、さらに、歩いていると、妙な感覚が足元から…。靴の底が床に張り付いているような感覚…。ペタペタと誰かが追いかけてくるような音。ふと足元を見ると、私の靴底が両足とも半分まで剥がれているではないですか。半分剥がれ落ちた靴底がペタペタと床に残り、妙な音を出していたのです。「こんな靴でずっと歩くのか…。恥ずかしい。」と思ってふと振り向くと、靴底の片方が綺麗な空港の白い床に、一枚取り残されているではありませんか。慌てて、靴底を取りに戻り、反対側の靴底も自分で剥ぎ取りました。この靴は、この旅行に合わせて新調したスニーカーでした。旅行中ずっとこの靴で歩き回り、アマゾンの密林も歩きましたが、8日間でこんなに靴底がボロボロになるとは。すごいですね。

 

ずり落ちるズボンを手で押さえ、靴底のなくなった靴を履く私の姿は、立派な料理人とは程遠い姿だったに違いありません…。

 

 忘れ物といえば、もう一つ忘れ物が。お寿司を作った時にご飯を冷ますおひつを忘れて来ました。でも、こちらはご婦人方へのいいプレゼントになったかな。今頃何が入れられているでしょうか?

魚を焼く時に使う金串は、串の刺し方をご婦人方に伝授して、プレゼントしてきました。今頃、金串を使って魚を調理しているでしょうか?

 

今、お店には、ボラ族からもらった首飾りが飾られています。パイチェの鱗や、アナコンダの牙、動物の骨や牙、木の実などを紐で編み込んだ首飾りです。とても精巧につくられていて、丈夫で美しい。決して買う事の出来ない、私の宝物になりました。

 

今回の撮影で、通常行くことも出来ない場所で料理をさせて頂き、とても貴重な経験になりました。撮影も色々な方々が支えて下さり、とても感謝しています。これからも、美味しい料理を作れるように、和食の素晴らしさを伝えられるように頑張って行きます。ありがとうございました。
 
  イキトスの町へ小型飛行機で 

  イキトスの市場


 イキトスの町を一望 


市場に売っていた魚 焼いて黒いのではなく、生の魚。どうしてこんなに真っ黒なのだろう…。


 アマゾン川の風景


 僕も焼いた芋虫食べました

2018-04-13 19:51:36

旅行記   |  コメント(0)

 

コメント

お名前
URL
コメント